URL13
CACA現代アート書展in鳥取
紙と書の新しい関係 書道の常識と非常識
2013.6.15→7.15
あおや和紙工房
主催:公益財団法人 鳥取市文化財団 鳥取市あおや和紙工房
後援:鳥取県、鳥取市、鳥取市因州和紙協同組合、朝日新聞鳥取総局、いなばぴょんぴょんネ
ット、山陰中央新報社、山陰中央テレビ、中国新聞鳥取支局、新日本海新聞社、日本海
ケーブルネットワーク、日本海テレビ、毎日新聞鳥取支局、BSS山陰放送、読売新聞鳥
取支局(順不同)
会場となった「和紙工房」のある鳥取県青谷町は因州(いんしゅう)和紙のふるさとです。因州とは古代の因幡・いなばの国の呼び名です。 その名の通り、両脇を緑の小高い山にはさまれた谷あいに集落が伸びており、その奥まったところに和紙制作、研修室、ショップ、ギャラリー、レストランを備えた因州和紙の立派な総合施設があります。そこで1ヶ月間の会期で幕を開けたCACA現代アート書作家協会<鳥取展>の作品群は見る人に衝撃を与えています。高さ3メートル、横幅が3メートルクラスの作品が何点もあり、小さいものでも90×90センチはあります。会場は一辺が15メートルのほぼ正方形プラスαの広さがあり、木質の吹き抜け構造です。ピクチャーレールまでの高さが3メートルあり、さらに太い木の梁の上には倍ほどの高い空間があります。したがって2メートルクラスの作品でも普通で、さほど大きくは見えません。
その空間へ22名による計33点の全力作品の投入です。展覧会のコンセプトは《紙》という素材を入口にして書を発想したらどういう表現が生まれるか、という逆転発想による作品群です。和紙もあれば洋紙もあり、段ボール紙から特殊紙まで、日常に溢れる紙のなかから選んでそれを生かした書の表現がどこまで可能か、という画期的なジャパン・コンテンポラリー・カリグラフィの劇場空間として世界に向けて第1弾を発信しました。
第2弾は10月京都で発表となります。
「godai(地水火風空)」 子安閑音 size195×140
桑で作った手漉き紙をいくつか組み合わせて空中ディスプレイしている。桑も楮の仲間だが、野生味が強く強靭さがある。
日と月は紙文字として浮遊し、背景の紙に柔らかな影を落としている。紙の白さというのは拒絶ではなく包容力の色だと教えてくれる。「辱即白」とは老子の言葉である。
「遊・旗を立て風を聴く」 順 size180×300 天地約2メートル、幅約3メートルの「遊」は、小さな30点の掛け軸によるユニット集合体のアート作品。マットな黒色はすべてオリジナル墨を調合した手引きによる塗り。金銀赤の3色があたかも日月人を象徴するがごとく日本的アクセントになっていて、白黒とのデザインバランスが実に精妙。
「濤声(とうせい)」 小林白濤 size160×240
ダイナミックなストロークによる抽象作品の屏風。屏風の面白さは、見る角度によって景色が変わることと屏風の外への広がりを感じさせるトリミング画面の面白さ。長いドローイングの線も不連続になり、より複雑な立体感を生み出す効果がある。白色が濤の飛沫を想像させる。
「楼閣」 内田由恵
size150×75
楼閣の文字の前にトリックアートの原理を応用した1枚の別紙をかぶせている。有機的な文字を窓という無機質なグリッドで対比させたダイレクトな意外性が新鮮。
「『街』のさんざめき」 山田咆月 size91×91×9 大量の広告チラシを折って文字の中を埋め尽くした一種のボックスアート。チラシも原色の派手な大阪から取り寄せた徹底ぶり。コンセプト、モティーフ、表現手法が一致した画期的な書のコンセプチュアルアート作品。
「line」 安藤破竹
size140×190
書の紙と布を手縫いにこだわってストライプ状に縫いあげて壁面にした作品。よく見ると筆線が断続していろんな息づかいが聞こえてくるようだ。縫い目も手縫いであるがゆえの微妙な揺らぎがあって陽動する表情を醸し出している。
「二十四節気」 遠藤雪飛
size75×51
新聞見開き大のネパール紙をドローイングタッチで多彩色し、その上に季節を表す二十四の語句を歴代の古典の書を臨書、もしくは倣書で1枚ずつ謹厳に清書して和綴じにした作品である。
古典の書はクラシックだがモダンである。常にモダンだからこそクラシックになり得た。その再発見と再認識の表現もまたコンテンポラリーといえる。
「夢の続き」 奥田紅嵐
size139×90×10
オリジナル墨による線の抽象作品をアコーディオン状に装丁して、いわば白と黒にさらに多曲屏風のような複雑な陰影の変化の面白さを加えた。
装丁も表現の一部であるという書の伝統文化を現代的手法で実証した。
「日本みる月、月みる日本」 雷鼓
size96×144×5
墨のたらしこみ技法による墨の美を表現。しかし、この美を引き出すためにさまざまな紙を試し、墨を紙に合わせて調合した試行錯誤の努力がある。そして最大限の相性によって作品を成立させた。
マスキングのように上に乗せた黒もすべてオリジナル墨を刷毛引きしたもの。作品は国旗の日の丸と同じ寸法比率で拡大。
「無題」 吉野大遊
size85×55
何だかわからない奇妙な物体が描かれているが強烈な印象を与えてくれる。まるで禅問答のような精神の自由さ、想像力の楽しさが湧いてくる不思議な作品だ。
この作品は、芸術は時に理解するものではなく感じるものだという本質を無言で語っている。
「ステンシル『喪乱帖』」 撫子
size175×140
書聖王羲之の代表的名品をモティーフにしてステンシルという伝統的版刷り手法を用いた作品。行草書を書き順通りに切り分けるという新機軸を打ち立て、文字に不思議な立体感を持たせた。顔料の紺色と浅黄色の紙の調和も美しい。
「白(しろ)と白(はく)」 長田風虹
size160×160
戦前の厚漉き楮紙の蚕袋をベースに竹、ガンピ、藤、鬼縛りといった極めて珍しい手漉き紙を、韓国のポゥジャギのように繋ぎあわせいろいろな白のハーモニーを見せた。自分の書いた文字をあえて入れずに昔人が書いた筆跡を紙面上に残して主張なき主張を演出。
「千足観音」 田嶋陽子
size313×108
長い人類の歴史のなかで女性は抑圧されてきたという事実がある。その抑圧の象徴としてハイヒールやテン足という歩くことの自由を奪われてきた足の存在がある。女性の足の受難の歴史を傷み、供養し、人形のように扱われてきた女性の真の自由復権を願う作者の果敢な祈りの表現が見てとれる。
「空模様」 山本順子
size90×82×12
画宣紙を溶かしてコースター状に固め、段違いに積み重ねた半立体作品。1枚ずつが微妙に色分けされ、表面にはいろいろと漉き込みされたものやテクスチャーがほどされて上品なバイブレーションを放っている。
「雨滴」 田﨑和子
size270×90
雨の降るさまをビジュアルに墨の濃淡で表現。墨も松煙墨を調合したオリジナル。よく見ると「ホツ ホツ ザーザー」の擬音文字も見える。そして作品の前には水溜まりがあり、針金で作った水色の雨滴の波紋がいくつか置かれているさまは実にのどかで楽しい。
「『木』字影曼荼羅」 安田竜介
size133×188×3
「木」字の点画を半立体的に貼り合わせてからフロッタージュ(乾拓)技法で字形を浮かび上がらせ、1枚ずつ違う形の文字を障子型の屏風の格子の中に貼り込んだ。
障子は日本のシンボルアイテムである。障子と紙、そして「木」の文字のトライアングルは我々がついやり過ごしてきたジャパン・キーワードである。
「星の降る夜は・・・」 大谷美游
size103×73×2
光の角度や方向で見え隠れする文字の群像作品。本来は脇役であるはずの塗料のニスで文字を書いてタイトルの「星降る」イメージ世界を表現している。素材の持つ潜在力を読み込んで、書の本来持っているコーディネートの自由さと楽しさを示した。
「時空」 北本淳子
size107×190
和紙にシワ加工をほどこし、墨の濃淡を使い分け、砂丘景色の昼と夜、そしてさまざまに変化する季節を含めて片時もとどまることのない自然の無常の姿を切り取っている。現代的な抽象山水の表現として想像力のパノラマが広がる。
「フライング・ゲット~春夏秋冬~」
土井由紀子 size180×130
トレッシングペーパーや特殊な箔をほどこした数種類の紙に、よく見ると薄いグレーで日本の春夏秋冬の季語が几帳面な楷書で無数に書かれているのがわかる。しわくちゃに揉みしだかれた紙のシワのなかに文字が見え隠れするさまは移ろいゆく自然の豊かさとせつなさとを感じさせる。
「MARUTAMI Meet」 芋切丸
size182×182×2
野菜の名前ばかりの段ボールを貼りまぜた屏風に「肉」を大書した。
屏風という格調ある非日常書式に段ボールという反格調の日常素材を用いた作品。誰にも見向きされずに大量に使い捨てられる段ボールとそこに印刷された文字たち。ポップアートの裏に大量消費文明に対するアイロニーが潜む。
「日中韓の美しい関係」 高橋古銕
size55×243
書いた書をパソコンに取り込み、いろんな映像写真とともに日中韓の新聞紙上にコラージュしたデジタル3部作品。
時事と社会批判をテーマにリアルタイムで書アートの表現にすることは稀なこと。日本をテーマにした作品「嘘」の新聞はあえて「福島民報」という痛烈な一撃。
「三界に家なし」 岡本光平
size60×200×70
『人間本来無一物』=ホームレスの段ボールハウスがアートとして復原されドイツで発表した11点シリーズのうち2点が本邦初公開。ハウスには日本のコミックやチラシに加えて古典書の「風信帖」や「曹全碑」「木簡」、【顔眞卿】や【貫名菘翁】などの臨書がコラージュされている。古典を尊崇しながら一方で古典を盾にしたすべての権威主義に対するアンチの意識表現である。
前のページへ戻る
caca